- 祭り:多度祭
- 開催日時:5月4・5日
- 開催地:多度大社(三重県桑名市多度町多度1681)
- 生物:ウマ
- 流域:揖斐川中流
〇多度祭
多度祭では、上げ馬神事や流鏑馬神事といった行事をおこないます。上げ馬神事は、元はウマを奉納するものでしたが、祭りの形態が変わっていく中で、坂を駆け上がり農作の時期や豊凶を占われるようになりました。多度大社の御厨(みくりや)といわれる供物を供える地区は七地区あり、小山・戸津・北猪飼・猪飼・力尾・多度の地区からは騎手(のりこ)がそれぞれ一人、肱江の地区からは神児が一人選ばれます。上げ馬をおこなう順番は、地区のまわり持ちで毎年順番に交代し、最初の地区を花馬と言います。
4日に上げ馬はおこなわれ、ウマは騎手とともに坂を駆け上がります。各地区でウマを替えて2回ずつおこない、豊作の豊凶は駆け上がりが達成する数が多ければ豊作、少なければ凶作です。また、農作の時期は、駆け上がりの達成が最初の方のウマであれば、「早稲(わせ)」、中頃であがれば「中手(なかて)」最後の方であれば「晩稲(おくて)」とされています。流鏑馬神事は5日に小山地区の騎手のみがおこないます。
出典:多度大社_
https://tadotaisya.or.jp/%e5%b9%b4%e4%b8%ad%e8%a1%8c%e4%ba%8b/%e5%a4%9a%e5%ba%a6%e7%a5%ad/
出典:三重県の祭り・行事_三重県教育委員会 編
〇ウマ
ウマは世界各地で家畜化され、種数と分布域を拡大しました。その中でモンゴル地域に祖先にもつウマが、日本に渡来したのは4世紀以降だとされています。それ以後、日本各地で戦場における兵器や農耕及び輸送と目的に合わせ、様々な品種が生まれました。1900年の中国における北清事変に日本が兵力を展開した際、体格が小さく、訓練が不十分であった日本の軍馬が、諸外国から酷評されました。それをきっかけに1902年には、在来馬の雄の去勢を目的とした、馬匹去勢法を施行(1949年廃止)しました。その後、西洋馬への転換がおこなわれました。現在、日本在来のウマは、北海道和種馬、木曽馬、野間馬、対州馬、御崎馬、トカラ馬、宮古馬、与那国馬の8品種が残っています。
日本で一般的に知られ、競馬や乗馬体験等に用いられるウマは、早く走るという目的でイギリスで品種改良されたサラブレッド種という競走用馬です。上げ馬神事でもサラブレッド種が用いられます。
神事により骨折や即死したウマを放置するといったこともありましたが、現在、改善が図られています。
出典:日本の馬-在来馬の過去・現在・未来_近藤誠司 編
出典:動物の虐待事例等調査報告書-平成25年度_環境省
〇SDGs学習の発展可能性
長い歴史の中で、人と共に歩んできたウマという生物は、戦場や生活の場から姿を消しました。文化の継承が重要視されるものの、時代とともに変化をしていくのも文化であるため、ウマの奉納から急坂を上る行事へと変化した上げ馬神事が、今後なにを継承しどのような変化をするか問われます。