- 祭り:斎王まつり
- 開催日時:6月の第1週末
- 開催地:三重県多気郡明和町斎宮2811
- 生物:タイ、キジ、カヤの実など
- 流域:櫛田川下流
〇斎王まつり
斎王とは、天皇の代わりに伊勢神宮の天照大神にお仕えしていた女性のことで、天皇の娘や姉妹などの中から未婚の女性から選ばれ都から遠く離れた斎宮で暮らしていました。斎王は、飛鳥・奈良時代から約660年、鎌倉時代の頃まで存在して、672年の壬申の乱の後、天皇となった天武天皇が、勝利のお礼に伊勢へ仕わせた自分の娘・大来皇女(おおくのひめみこ)が最初の斎王と伝えられています。斎王を選ぶのは、卜定と呼ばれる、亀の甲羅を使った占いで選ばれました。斎王に選ばれると、3年間ほど都で準備をしたあと、斎王群行と呼ばれる5泊6日の旅をして、斎宮へと行きました。斎王の主な役目は年に3回、10月の神嘗祭と6月と12月の月次祭の時にお詣りすること。それ以外は斎宮で貝合わせや歌詠み、船遊びなどをしながら朝廷の権威を示し優雅な生活を送っていただろうと考えられています。
斎王まつりは、1983年に婦人会の有志の方々が「斎王をお祀り」しようということで始まりました。祭りの見所は、都から遠く離れた伊勢の地に群行された様子を再現した「禊の儀・出発式・斎王群行・社頭の儀」です。また、「伊勢物語」の中に描かれた、在原業平と恬子内親王(斎王)がモデルと言われる恋物語でふたりはこの大淀の地で歌を詠み交わし、別れを惜しんだと伝えられています。初日の夜の前夜祭、2日目の禊の儀に始まり、斎王群行・社頭の儀は平安絵巻さながらの様相です。加えて、約100を超えるテントでの出店や屋台などで子供から大人まで楽しめるまつりとして現代に至っています。
出典:斎王まつり_http://saioh.sub.jp/index.html
〇斎王の食事
斎王の食事はおろか、平安時代の食事については文献による根拠が非常に乏しく。王朝文学においても、食事について触れられていないそうです。三重大学では、何を食べていたのかを明らかにするために、「延喜式」の「斎宮式」にある調庸雑物条、年料供物条、月料条などに見られる斎宮の食材を拾うことで斎宮の食事を考察しています。
さらに斎宮歴史博物館の展示室には、斎王の食事模型があります。それは「類聚雑要抄」にみられる関白藤原忠実が東三条第に移御した時などの貴族の最高級の食事を伊勢で獲れる、あるいは斎宮に送られていた食材を想定して造られたものです。それによると主菜は、タイ、スズキ、コイの膾、タイ、コイの焼物、熱汁と寒汁、ほかにタコの焼物、楚割(細く裂いた干物)、アワビの蒸し物、鳥の干物、クラゲ、ナマコ、ホヤなどが出されています。また、別の会席資料には、フナ、ミル、ノリ、ゴボウ、コウホネ、レンコン,ウリ、ナス、カブ、トウガンなどの漬物、さらにマツやカヤの実、クリ、ホッキガイ、巻貝、ヤドカリ、カメノテ、ウニ、ククタチ(カブやダイコンの若葉)、マツタケ、キジ、カモ、エビなど、そして菓子(果物やドーナツ状の唐菓子)の類の記述もあり、獣の肉は建前としては食べなくなっていたとはいえ、実に色々なものを食べていたことがわかります。
出典:斎王は何を食べていたのか?(三重大学のWebサイト)_https://www.mie-u.ac.jp/chiiki/restoration/sub3.htm
出典:斎王歴史博物館_https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/senwa/journal.asp?record=416
〇SDGs学習の発展可能性
伊勢神宮(外宮)では、約1500年間1日も欠かすことなく毎日朝・夕の二度、塩・鰹節・昆布などのお食事(神饌)を天照大御神に奉り、感謝と祈りがささげられています。斎王の食事もその食材等は神饌に似ており、郷土の豊かな山、川、海の食材が用いられます。斎王の食事を通じて、郷土の豊かな食材や食文化を後世に伝承する重要性を学ぶことができます。