- 祭り:烏賊祭
- 開催日時:4月の第3土曜日
- 開催地:御津神社(愛知県豊川市御津町広石祓田70)
- 生物:イカ
- 流域:豊川中流
〇烏賊祭
例大祭の前日にモンゴウイカを奉納し、豊漁と安全祈願、イカの供養をしたのが祭りの始まりといわれています。他の多くの神社でもイカを供える事はありますが、イカを乾燥させたスルメであり、御津神社では、生の状態で奉納されるのが特徴です。
モンゴウイカは、牛の舌餅(牛の舌のような形状)とともに供えられます。かつては、同じ宝飯郡の大塚地区(現在は蒲郡市)からイカの解禁日に獲れた新鮮なイカをその日に奉納しました。しかし、1940年頃からはイカの不漁が続き、やがて購入したものへと変化しました。また、奉納もとであった大塚漁業は、1964年の大規模な地域開発計画である三河港港湾計画に蒲郡市から田原市にかけての港湾整備と臨海工業が示され、1977年の漁業補償協定の締結、1988年に解散しました。現在、大塚漁業があった蒲郡市大塚町付近は埋め立て、複合型マリンリゾート施設となりました。
出典:祭礼辞典・愛知県_愛知県祭礼研究会
出典:愛知の水産史-伊勢・三河湾における沿岸域の開発事業-_井野川仲男
出典:三河湾・伊勢湾漁撈民俗緊急調査報告 第2集_愛知県教育委員会
〇イカ
モンゴウイカは、カミナリイカの別名で用いられることもあれば、輸入されたコウイカ目の意味合いで用いられたりと幅が広く、今回の調査では、種類を特定する事ができませんでした。コウイカ目で一般的なコウイカは、胴が大きく全体として平べったい特徴的な形態をしており、日本中部からオーストラリア北部まで生息しています。砂や泥の海底におり、イカ籠漁では、籠の周囲にイヌツゲ(モチノキ科の常緑樹)の枝を括りつけて沈め、イヌツゲに産卵しようと籠に入ったコウイカを引き上げて漁獲します。
イカは、巻貝や二枚貝と同じ軟体動物に属しています。ケンサキイカやスルメイカなどの背中にある骨と呼ばれるものや、コウイカ類の名前の由来にもなっているサーフボード状の甲も貝殻の名残です。
日本のイカ漁業の経緯として、イカ類の中で漁獲主体であったスルメイカが、1970年代に日本近海で漁獲量が急減したため、新しい漁場として、遠洋及び外国の沿岸沖合での漁場の開発がなされました。しかし、1977年頃に多くの国で排他的経済水域が設定され、遠洋での漁業は減少しました。また、流し網(網を数十キロわたり設置)による漁獲も、混獲(対象ではない生物が漁獲されること)が問題になり、国連でモラトリアム(一時停止)が決議され、1992年に公海での流し網は実質上禁止となりました。
日本の漁獲による圧力は落ち着いたものの、外国におけるイカの消費量の増加や、日本も含めた世界各地における沿岸及び海洋開発や気候変動といった変化が、イカの生態系に影響することは考えられます。
出典:水産庁 イカ図鑑_https://www.jfa.maff.go.jp/j/koho/blog/category/ikapedia/ikazukan/kouika.html
出典:新鮮イカ学_奥谷喬司 編
〇SDGs学習の発展可能性
かつて三河湾の砂浜には、モンゴウイカの甲が打ち上げられる事があったそうです。しかし、今では見かけることがなくなったとの事です。生物が豊かであったかつての三河湾を取り戻すには、河川の上流から河口までの影響も大きいため、流域全体でも取り組まなければなりません。