長龍神事

  • 祭り:長龍神事
  • 開催日時:3月21日(春分の日)
  • 開催地:八柱神社(三重県多気郡多気町片野1700)
  • 生物:イネ
  • 流域:櫛田川中流

 

〇長龍神事
 三重県多気町の八柱神社では、毎年春分の日に長龍神事が行われます。この神事は神社創建当時(1517年)から奉納されてきたものと言い伝えられていますが、現在の形になったのは今から約270年前(1741年)、時に片野村施主田牧氏が雨乞い・五穀豊穣を祈願して発起したものと考えられています。現在の神事は、400余年にわたる歴史を持つ、雨乞いと豊作を祈願する祭りです。
 神社の神前には、中央に御神酒、鏡餅、お供え餅(テビラ餅と小餅)を供え、狛犬四対八軀をその大きさ順に並べられます。祭りの右隅に置く棚は、一尺五寸(45cm)四方、高さが四尺五寸(135cm)ほどで、篠竹で作った手作りの枠であります。この棚には生け贄となるお姫さまが座り、キトク酒が置いてあります。キトク酒とは「人間が飲むと百万力となり、獣が飲むと百万力の力を失う。」という酒であります。楽は大太鼓だけで境内の中央に据えられ、早くから打ち続けています。
 スサノオノミコトをあらわす赤天狗が、ヤマタノオロチをあらわす長龍を退治したという出雲神話を象徴化して演じたものと伝わりますが、この地域独自の形となっているのが特徴です。神社の境内では、勇壮な舞楽が始まります。上記のキトク酒を飲んだ長龍と、お宮の前で神通力を得た天狗の戦いを表現。勇壮な舞楽が繰り広げられます。見どころは、疲れ果てた「長龍」の中から、天狗が飲み込まれていた人たちを助け出すという終盤にあります。地域総出で行われる舞楽はクライマックスになり、地域の人たちのおおらかなやり取りが楽しい神事でもあります。

出典:「勢和村史 通史編」1999年_清和村
出典:昇龍道 八柱神社_https://go-centraljapan.jp/route/dragon/ja/25.html


〇キトク酒
 室町時代初期に書かれた「御酒之日記」では、清酒発祥の地の1つと考えられている正暦寺の酒造に関して、すでに今日の段仕込みや、乳酸菌発酵の技術、火入れによる加熱殺菌、木炭による濾過などが行われていたとの記述があります。つまり長龍神事の始まった頃には、現代に近い日本酒が飲まれていた可能性があります。
 酒造法としては、掛米だけに白米を使う従来の片白に加えて、新しく掛米と麹米の両方に使う諸白の製法が現れ、その上品な味わいが人気を集めるようになりました。また僧坊酒の発展から、奈良酒や天野酒などの、のちの摂泉十二郷の各流派の原型にあたる技法の違いも現れました。
 「多聞院日記」には、先の火入れについての記述に加えて、こうした江戸時代まで続いた伝統的な酒造法について詳しく記されています。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは1552年、イエズス会の上司へ宛てた手紙の中で、「酒は米より造れるが、そのほかに酒なく、その量は少なくして価は高し」と、日本酒に関してヨーロッパ人として最初の報告を書いています。織田信長に接して多くの記録を残した宣教師ルイス・フロイスも1581年に「我々は酒を冷やすが、日本では酒を温める」などの情報を本国に書き送っています。さらに「多聞院日記」によれば、奈良で十石入り仕込み桶が開発され、それにより酒の大量生産が可能になり、さらに地酒文化を花開かせることにつながっていきます。
 戦国時代の群雄割拠が諸国に文化的な独自性を持たせたことも追い風となって、それぞれの土地の一般庶民の食文化との相互補完をベースとしながら、各地に数々の新しいローカルブランドが誕生し、味、酒質、製造量などの点において多様化が進んでいきました。


〇SDGs学習の発展可能性
 今日でも酒は「百薬の長」といわれ、適度な酒はどんな薬にも勝る効果があるとされ、日本の津々浦々で様々な地酒がつくられています。人智を超える力を得られるキトク酒の伝承を通じて、人の力を存分に発揮させる酒を地域で醸造できる環境(清らかな水、黄金色に実る米など)の持続可能性を考えるための学習に繋げられます。