- 祭り:山の神
- 開催日時:12月7日
- 開催地:養命神社(三重県伊勢市前山町)
- 生物:イセエビ
- 流域:宮川中流
〇山の神
紀伊半島には、山の神に関する祭りが多く存在しています。伊勢市前山町の養命神社においても山の神祭りが催されます。養命神社の山の神の祭りの特色としては、まずは「どんど火」と呼ばれる篝火が焚かれて山の神を祀ります。その後、夕刻に神社にの神前に供えられた雌雄のイセエビを子どもたちが奪い合う「海老取り」という行事があります。
出典:愛知県・三重県教育委員会編 「中部地方の祭り・行事3 愛知・三重」 海路書院、2009年
〇イセエビ
イセエビは、日本列島の房総半島以南から台湾までの西太平洋沿岸と九州、朝鮮半島南部の沿岸域に分布しています。かつてはインド洋や西太平洋に広く分布するとされていましたが、研究が進んだ結果、他地域のものは別種であることが判明しました。外洋に面した浅い海の岩礁やサンゴ礁に生息しており、昼間は岩棚や岩穴の中に潜み、夜になると獲物を探します。食性は肉食性で、貝類やウニなど色々な小動物を主に捕食しますが、海藻を食べることもあります。貝などは頑丈な臼状の大顎で殻を粉砕し、中身を食べます。一方、天敵には沿岸性のサメ、イシダイ、タコなどがいます。敵に遭うと、尾を使って後方へ俊敏に飛び退く動作をします。
イセエビ類は古くから日本各地で食用とされています。733年の「出雲国風土記」には嶋根郡や秋鹿郡の雑物の中に「縞蝦」の記述がみられる。「蝦」の種類は確認できないものの911年の「侍中群要」では摂津と近江の2か国から貢上されており、宮中へも納められていた。1150年頃の『類聚楽雑要抄』などから当時は干物として用いられていたと考えられています。イセエビの名称が初めて記された文献は1566年の「言継卿記」であると考えられています。江戸時代には、井原西鶴が1688年の「日本永代蔵」四「伊勢ゑびの高値」や1692年の「世間胸算用」で、江戸や大坂で諸大名などが初春のご祝儀とするため、伊勢海老がきわめて高値で商われていた話が記されています。1697年の「本朝食鑑」には「伊勢蝦鎌倉蝦は海蝦の大なるもの也」と記されており、海老が正月飾りに欠かせないものであるとも紹介されています。1709年の貝原益軒が著した「大和本草」にも、イセエビの名が登場します。イセエビという名の語源としては、伊勢地域がイセエビの主産地の1つとされていたことに加え、磯に多くいることから「イソエビ」からイセエビになったという説があります。また、兜の前頭部に位置する前立にイセエビを模したものがあるように、イセエビが太く長い触角を振り立てる容姿が鎧をまとった勇猛果敢な武士を連想させ、「威勢がいい」を意味する縁起物として武家に好まれており、語呂合わせから定着していったとも考えられています。
〇SDGs学習の発展可能性
海で採れる高級食材のイセエビが、宮川の中流における神事で用いられてきた歴史は、河川の流域における上下流交流の歴史でもあり、流域圏で完結する食文化が現代まで継承されてきていることを神事を通じて学ぶことが可能です。これを発展させて、流域圏における地産地消の重要さを学習することも可能であると考えられます。